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東京高等裁判所 昭和48年(う)52号 判決

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人奥毅の控訴趣意書に記載されたとおりであるから、これを引用する。

控訴趣意第一点について。

論旨は要するに、原判示第二の公務執行妨害の事実について、同判示の道路において交通事犯(飲酒運転)取締りに従事していた明石圭司巡査らがなした被告人運転の普通乗用自動車(以下、被告車という。)に対する自動車検問ないし職務質問は、その前提要件を欠く違法なものであるのにかかわらず、同巡査らは進行中の被告車を強制的に停車させようとし、引続き明石巡査は強制的手段によつて職務質問をなし、自動車の停止および自動車からの下車を要求したものであつて、明石巡査が被告人に自動車の停止および下車を求める行為も違法たるを免れず、仮りに明石巡査らがなした自動車検問が職務質問の前提要件をみたし、正当なものと認められるとしても、その後にとつた明石巡査の行為は、明らかに被告人の意思を無視した強制的手段を用いた違法なものであつて、到底適法な職務行為とは認めることができないから、公務執行妨害罪は成立しないものというべく、従つて明石巡査の右のような違法な職務行為を適法なものとした原判決は法令の適用を誤つたものであつて、その誤りが判決に影響を及ぼすことが明らかであるというのである。

しかし原判決の挙示した証拠を総合すれば、所論の明石巡査らがなした被告車に対する自動車検問などの適法性の点を含め、原判示第二の公務執行妨害の事実を肯認するに十分であり、当審における事実取調の結果を参酌しても、右認定を左右するに足るものはない。すなわち、右各証拠によれば、警視庁小岩警察署勤務の森本茂樹巡査部長、前記明石巡査および入山昭次巡査の三名は本件犯行当日である昭和四七年八月一七日午後一一時二〇分ころから原判示道路付近で、酒酔い運転および無免許運転を主とする交通取締を実施し、右道路付近にある交通整理の行なわれていない交差点を徐行しないで進行する車両とか前照灯をつけていない車両または蛇行運転する車両などのいわゆる不審車両について停止を求めるなどして自動車検問をなし、職務質問をしていたこと、右取締の場所は、国電小岩駅前の繁華街に通ずる道路で酒酔い運転の多いところであるため、それまでにも何回となく取締を実施していたこと、被告人は当夜右小岩駅南口のキャバレーなどでビール大瓶一本、中瓶二本位を飲んで午後一一時四〇分ころ被告車を運転し、原判示道路を小岩駅前方向から千葉街道方向へ時速約三〇キロメートルないし四〇キロメートルで進行してきて、前記交通整理の行なわれていない交差点を全然徐行することなく通過したので、被告車の右のような走行状況を目撃した右森本巡査部長らは、被告人が酒酔い運転をしているのではないかと判断して、被告人に対し赤色の懐中電灯を振り、または警笛を吹いて被告車の禁止を求める合図をしたが、被告人は右警察官らの合図を認めるや、酒気帯び運転の発覚を怖れ、逃げようとして加速し、そのまま、検問実施中の右警察官らの前を通過したこと、前記三名の警察官はバイクまたは自転車で被告車を追跡し、被告車が同所から千葉街道方向へ約二〇〇メートル進行した際、付近にあつた交通整理の行なわれている交差点の手前で赤色の停止信号に従い停車したので、バイクに乗つて被告車を追跡してきて間もなく同車に追い付いた森本巡査部長が、先ず被告車の運転席のところへ赴き、被告人の開けた運転席の窓側に寄り、被告人に対し「何故逃げたのか。」と質問したが、その際被告人には酒の臭いがし、顔面が赤くみえたので、更に同巡査部長が「酒を飲んでいるな。」と聞いたところ、被告人は返事をしなかつたこと、そのころ自転車に乗つて被告車を追跡してきて右現場に到着した明石巡査が被告車の前面へ自転車を停めめようとしたところ、被告人が更に発進しようとしたため、被告車が明石巡査の自転車に接触し、同巡査がよろけたので、森本巡査部長は被告人に被告車のエンジンを止めて降車するように指示したが、被告人が降車しないため、同巡査部長は危険を感じて被告車のエンジンを停めようとしてそのドアを開けて右手を入れ、キーをひねつたところ、被告人が同巡査部長の右腕の肘を一回殴打したこと、更に被告人の側へ寄つた明石巡査も被告人に酒の臭いがしたところから、酒酔い運転の疑いが濃厚であると判断し、同人に対し、「酒を飲んでいるな、何故逃げるんだ。」と質問し、酒気の検知をする必要もあると認めて再三にわたつて降車を求めたが、被告人はこれを聞きいれないのみならず、急に被告車のエンジンを入れギアに手をかけて発進しようとしたので、同巡査はこれを阻止すべく、そのエンジンを切ろうとして、被告車のドアから右手を差し入れたところ、被告人は同巡査の右腕の肘の下辺を約三回殴打し、右襟首をつかんで前後にゆさぶり、更に被告車のハンドルの中に入つた同巡査の右手をハンドルに押さえつけたまま被告車を後退させて約一〇メートル同巡査を引きずるなどの暴行を加えたこと、その際被告人から押さえられていた同巡査の手が離れたので、同巡査が被告人の肩か頸部をつかんで外へ引出し、被告人を降車させたことがいずれも認められる。被告人の原審、当審各公判供述のうち右認定に反する部分はにわかに措信しがたく、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

以上のような事実関係によれば、前記明石巡査らの被告人に対する自動車検問ないし職務質問は、道路交通法第六七条第一項ないし警察官職務執行法(以下、警職法と略称する。)第二条第一項に照らし適法な職務行為であることは明らかであり、従つて、右明石巡査が、同巡査らの停車の合図に従わずにかえつて加速して検問場所を通過して逃げようとした被告車を追跡してこれに追い付き、被告人の酒酔い運転について取調べる必要を認め、同人に対して降車を求め、更に、発進しようとした被告車のエンジンを切るため手を同自動車内に差し入れたこともまた、前記自動車検問ないし職務質問に関連する適法な職務行為として是認することができる、そしてそうである以上、被告人の同巡査に対する前記のような暴行は公務執行妨害に該当することは明白といわねばならない。

ところで所論は、自動車検問ないし職務質問が是認されるためには警職法第二条第一項の要件がそのままみたされねばならないと解すべきところ、被告車が徐行しなかつたとされる本件交差点の客観的状況、その時刻が深夜であることなどに照らせば、明石巡査らにおいて被告人が飲酒運転等道路交通法に違反していると認知するについて合理的根拠となりうる徴表はなんら存しないし、被告人は徐行義務を免除されると考えるのが相当であり、また仮りに被告人が徐行義務を免除されないとしても、右のような客観的諸状況のもとにおいては、いわゆる信頼の原則などから徐行の程度は緩和されるものと考えるのが相当であるから、明石巡査らが被告車を停車させようとしたことは、自動車検問ないし職務質問の前提条件を欠く違法な職務行為であり、従つて被告人が右検問を通過してもなんら責めらるべきいわれはないと主張する。

しかし前記道路交通法第六七条第一項によれば、警察官は、自動車運転者が酒気帯び運転をしていると認めるときは、当該自動車を停止させる権限を有することは明らかであり、また、前記警職法第二条第一項は警察官に対し、一定の要件のもとに、自動車運転者に対する検問ないし職務質問の権限を与えているものと解すべきであり、警察官が職務質問の要件の存否を確認するため、自動車運転者に停車を求め、場合によつては停車を指示する権限をも合わせて与えたものというべく、もとよりそれは、すべての自動車に対し無制限にその停車を求める権限があるとは考えられないとしても、個々の自動車について検問の合理的必要性があり、かつその方法が適切であつて、自動車運転者に対する自由の制限が最小限度に止められる場合においては、職務質問の前提として自動車の停止を求め、場合によつては停車を指示することも許容されるものということができる。そこで本件につきこれをみるのに、前認定のように取締の場所は往々飲酒運転の行なわれる道路であるのみならず、被告人は前記交差点を徐行義務を尽さないで通過しており(この点について、被告車が時速約三〇キロメートルないし四〇キロメートルで進行していたことは前認定のとおりであつて、所論のように本件交差点の状況、当時交通量が特に少なかつたことなどの事情をもつて、被告人が徐行義務を免除されるものとはいえないし、また本件においては信頼の原則を適用する余地はないのであるから、所論のように徐行の程度が緩和されるものともいえず、更に右の速度が道路交通法第二条にいう徐行にあたらないことは論をまたないところであつて、時速三〇キロメートル程度の速度をもつて徐行義務に違反したとはいえないとする所論の採ることをえないことは当然である。)、しかも警察官の停車の合図を無視し検問を通過して逃げたものであるから、これらの場所的関係および被告人の運転状況から、明石巡査らにおいて被告人が飲酒運転をしているのではないかとの疑念を抱くに至つたことは、合理的に判断してけだし当然というべく、従つて同巡査らが自らの疑念を確かめるため職務質問をすることは許さるべきであり、そのためには前記道路交通法第六七条第一項および警職法第二条第一項の各法意に従い、逃走する被告車を停止させて質問することができるものと解すべきであると同時に、またこれをなすことがその忠実な職務の遂行でもあるといいうるのである。してみれば、本件自動車検問ないし職務質問が前提条件を欠くことを根拠とする所論の失当なることは明らかである。

そして本件の自動車検問ないし職務質問が適法であると認むべきことは前説示のとおりであるから、右検問に引続く明石巡査の被告車の停止および下車を求める行為も違法とはいえないし、この場合自動車の停止を求めるためにこれを追跡することは通常の手段方法であつて、これを停止させるために場合によつては多少の実力を加えることもまた正当な職務執行の範囲内の行為であるといいうべく、もとより職務質問にあたつては、任意になされることが要求されており、決して暴行にわたるような態度に出ることは許されないが、前認定のように明石巡査が被告人に酒の臭いがしたのを知覚して降車を求めたのに、被告人は下車しないのみならず、かえつて急に発進しようとしたのであるから、これを阻止しようとした同巡査の行為は、正当な職務行為として是認されるものというべきである。しかるに被告人は同巡査に対し前認定のような暴行を加えているのであるから、同巡査の以上の行為が違法であることを前提とし、公務執行妨害罪の成立を争う所論もまた失当といわねばならない。(なお所論引用の各下級審判決はいずれも本件とは事案を異にしており、本件については適切ではない。)

以上の次第であつて、本件について明石巡査のなした行為は、警察官としての適法な職務行為に該当することが明白であり、原判決が被告人の同巡査に対する原判示第二のような暴行の所為につき、公務執行妨害罪を認定したのは正当として是認すべきであつて、同所為につき、刑法第九五条第一項を適用処断した原判決にはなんら法令適用の誤りは存しない。論旨は理由がない。

控訴趣意第二点について。

しかし記録によれば、本件は、被告人が酒気帯び運転をしたという事案と、前記のように明石圭司巡査の職務の執行を妨害したという事案とであつて、右各犯行の罪質、動機、態様などにてらせば、その犯情は決して軽視を許されず、被告人は無免許運転(二回)、酒気帯び運転(一回)、業務上過失傷害等(一回)および傷害(二回)の各罪による罰金刑の前科が六犯あるのにかかわらず、更に本件酒気帯び運転の犯行に及び、加うるに交通取締の警察官に暴行を加え、同警察官の職務の執行を妨害したものであつて、その刑責は重く、当審における事実取調の結果を合わせ、所論指摘の被告人に有利な諸事情を参酌しても、原審の量刑はやむをえないものであると認められる。論旨は理由がない。

よつて刑事訴訟法第三九六条により本件控訴を棄却することとして、主文のとおり判決する。

(石田一郎 菅間英男 柳原嘉藤)

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